吉田郡山城跡【毛利元就が居城していた山城】

吉田郡山城跡 日本百名城 広島県安芸高田市

【2019/4/9】吉田郡山城のアクセス(行き方)と駐車場の場所などを紹介する記事です。

吉田郡山城跡・山城周辺や、風光明媚な郡山公園なども紹介していきます。

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吉田郡山城のアクセス(行き方)

吉田郡山城跡 アクセス バス

広島市内、主に広島駅から吉田郡山城跡へ行くルートを紹介します。

公共機関で⾏く

広島市内から吉田郡山城跡へ公共機関で行くには広島駅南口から吉田出張所行きのバスに乗車します。

【バス】広島駅から安芸高田市役所前まで
  1. 広島駅南口、または広島バスセンターにて吉田出張所行きのバスに乗車
  2. 安芸高田市役所前下車
  3. 吉田郡山城跡まで約5分

参考:路線バス|広島電鉄

広島市内から吉田まで国道54号線を通り、約1時間25分で到着できます。

ちなみに土師ダムに行く場合も、吉田出張所行きのバスに乗車すれば行けますが、バス停からかなり歩くことになります。※勝田交差点からひたすら。

ちなみに吉田郡山城跡の近くに「ゆめタウン吉田」があり、ゆっくり休憩できます。

⾞で⾏く

広島市内から吉田郡山城跡へ公共機関で行くのは国道54号線を利用すると、広島市内からほぼ一直線に行くことができます。

可部バイパスを利用すると信号交差点が少なく通過できるので、だいたい1時間ちょい過ぎくらいで行くことができます。

ちなみに吉田郡山城跡へ至るまで土師ダム付近を通過するので、吉田郡山城跡の散策が終わったら土師ダムの観光もおすすめです。

吉田郡山城跡 登山の駐車場

吉田郡山城跡 駐車場

吉田郡山城跡へ登山のための駐車場は、安芸高田市 歴史民俗博物館と、博物館から少し上がっていった先にある「大通院谷川砂防公園の駐車場」を利用しましょう。

安芸高田市 歴史民俗博物館は、毛利元就や吉田郡山城跡について知ることができるので登山の事前予習に最適ですが、少しでも楽に登山したいなら大通院谷川砂防公園の駐車場を利用しましょう。

個人的に吉田郡山城跡の本丸などすべて制覇すると侮れない距離となるので、大通院谷川砂防公園の駐車場をおすすめします。

吉田郡山城跡は日本100名城なのでスタンプ頂けます

安芸高田市歴史民俗博物館 駐車場

日本100名城たる郡山城のスタンプは、安芸高田市 歴史民俗博物館の窓口で頂けます。(開館時間9時から17時、休館日は祝日を除く月曜日)

休館日のときはスタンプを押した紙を玄関に置いてあり、自由に取ってもよいのことです。

ちなみに日本100名城とは、財団法人日本城郭協会が全国各地の名城を探す手がかりとして定めたものです。

城郭愛好家や専門家などの審査により、以下の項目を基準に選定されました。

  • 観光地としての知名度
  • 文化財や歴史上の重要性
  • 復元の正確性

吉田郡山城の所要時間

ここは上根バイパス、土師ダムまで約10分、吉田まで約15~20分

吉田郡山城 観光の所要時間は以下のようになります。

吉田郡山城の城入口起点(駐車場)
  • 毛利元就一族の墓の往復:約30分
  • 毛利元就一族の墓→本丸→郡山公園:約90分
  • 毛利元就一族の墓→本丸→旧本城→郡山公園:約120分以上

毛利元就一族の墓までの折り返し

広島 吉田郡山城跡 毛利元就の墓

吉田郡山城の入口から毛利元就一族の墓までは道が整備されており、ほぼ平地なので毛利元就一族の墓までなら気軽に散策できる感じです。

散策路は舗装されているのでスニーカーに普段着で問題ありません。

広島 吉田郡山城跡 参道
地面はアスファルト、歩きやすい。

吉田郡山城の頂上「本丸」を目指す

広島 吉田郡山城跡 登山道 上り

吉田郡山城 登山の真骨頂は毛利元就一族の墓から本丸まで至る道で、山道を登っていくスタイルになります。

吉田郡山城 登山の所要時間は約90分としましたが、これは私の登山ペースなので山歩きに慣れた方ならペースが早いかもしれません。

わたしは山歩きに慣れていないうえに、銘板を眺めたり休憩しながら登ったので所要時間は参考にしてください。

ちなみに夕方になると想像以上に道中が暗くなるので、日中に吉田郡山城を散策登山されることをおすすめします。

吉田郡山城の本丸まで山道とはいえ階段など整備されていますが、2014年と2018年の豪雨の影響で階段を構成する木材や道が崩れている箇所があったので、溝のあるスニーカーか登山靴をおすすめします。

吉田郡山城跡 登山

服装は軽登山を楽しむスタイルでいいと思います。

吉田郡山城の本丸と旧本城をまわる

吉田郡山城跡 登山

吉田郡山城の本丸に到達し、郡山に下る道中に「旧本城」に行くルートがあります。

旧本城は初代 吉田郡山城という山城跡で、毛利元就の祖「毛利時親」が吉田の郡山城を築城したとされます。(毛利元就の代で郡山全山を山城化した)

郡山城の本丸、郡山公園ルートから尾根沿いに下り、旧本城は小山のようになっています。

2018年7月豪雨の影響か、旧本城の登山路が一部不明瞭になっていたので、帰還ルートを確認しておかないと迷子になる可能性があります。

吉田郡山城の旧本城はスニーカーだと滑るので、登山靴に登山にふさわしい服装で望むことをおすすめします。

吉田郡山城跡の風景

吉田郡山城跡を歩いて印象に残ったところを紹介します。

史跡 郡山城址(史跡ガイド起点)

吉田郡山城跡 概要

毛利元就資料館からテクテク歩いて、いよいよ勾配が増していくと感じた場所にある案内板と石碑で、郡山城址の概要が書いてあります。

郡山城はどんな山か

郡山城は広島県安芸高田市吉田町にある郡山に城を築いたもので、標高390m、比高190m、範囲は1km四方に広がるとされ、まさに山に城を築いた「山城」なのです。

吉田郡山城跡 看板
史跡ガイドの看板より

郡山城が廃城になったあとはどうなったの?

郡山城は毛利時親から元就を経て輝元まで受け継がれてきましたが、天正19年(1591年)に毛利輝元が広島の三角州に広島城を築城し移城したあとは廃城となりました。

現在、当時の郡山城を思わせるものは建物があった敷地跡くらいしかありませんが、ふつうの山ではみられない「人の手によって工事(?)された跡」は見てとれるので、現在の遺跡でも毛利時代の山城に思いを馳せることはできます。

吉田郡山城跡 ガイド起点
ここが吉田郡山城跡のガイド起点のようですね。
吉田郡山城跡 概要
なんたらの跡・・・とあります。
あとで調べよう( ..)φメモメモ

大通院谷川砂防公園

吉田郡山城跡 大通院谷川砂防公園
駐車場から郡山を望む。

大通院谷川砂防公園は、安芸高田市 歴史民俗博物館から郡山方面に上がっていくと斜面に桜の木などが植えてある公園が見えてきます。

大通院谷川砂防公園には駐車場と郡山城の入口があり、遺跡も見ることができます。

吉田郡山城跡 駐車場
トイレもあって登山口にも近く便利です。

そもそも大通院谷川砂防公園に「砂防」という言葉がついている理由は、郡山には大通院谷川という渓流があり、豪雨のとき土石流が発生するリスクがありましたが、公園内に樹林帯を作ることで土石流の被害を防ぐ効果を期待する施設なのです。

ちなみに砂防工事のときに郡山の遺跡(薬研堀など)が発掘されて一時話題になったそうです。

大通院谷川砂防公園
大通院谷川砂防公園の意義は駐車場内にある看板に書いてあります。
大通院谷川砂防公園
砂防ダムです。

郡山城 内堀(薬研堀)跡

吉田郡山城跡 薬研掘
写真の右側にV字の溝が続いていますが、これを薬研堀といいます。

郡山城 大通院谷の東側には、写真のとおり大きな溝が掘られています。

このV字形のような溝を「薬研堀」といい、郡山城をとりかこむ「内堀」の一つとされます。

郡山城 大通院谷遺跡

吉田郡山城跡 遺跡
案内板の右側を参照

郡山 大通院川の砂防工事で、旧石器時代から近世までの遺跡が出てきました。

郡山の内堀の一部「薬研堀」や屋敷跡の遺構など多数が出てきたそうです。

毛利洞春火(元就)葬場跡

吉田郡山城跡 毛利洞春火(元就)葬場跡
吉田郡山城跡 毛利洞春火(元就)葬場跡

吉田郡山城 駐車場から少し下ると、毛利元就火葬場跡の石碑が立っています。

石碑には毛利洞春となってますが、これは法名です。

この元就 火葬場跡は資料館から山城入口に至る道中に案内板がありました。

元就を火葬したとき沈香を焚いたのですが、その香りは遠くまで匂ったそうです。

ちなみに毛利元就の火葬場跡に栂の木を植え、高さ10m、周囲3mまで達したのですが、昭和46年に枯死したそうです。

ちなみに広島県にある栂の木は、広島県廿日市の亀山神社に栂の巨樹があるそうです(情報源

御里屋敷跡(現:少年自然の家)

吉田郡山城跡 御里屋敷跡

郡山大通院谷エリアの手前にある少年自然の家の敷地は、毛利元就の居館・御里屋敷があった場所と伝えています・・・が、平成3・4年に行われた試掘調査では御里屋敷たる遺構や遺物が発見されなかったのです。

現在の少年自然の家が建つまえは大江中学校(昭和43年 廃校)があり、この地で「毛利元就がいた御里屋敷跡」が伝わってきたのだそうです。

三本の矢の訓

吉田郡山城跡 三本の矢の訓
吉田郡山城跡 三本の矢の訓

三本の矢の訓(三矢の訓[さんしのおしえ])は、3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いたもので、その話は諸説ありますが、我々が馴染んでいるのは次の言葉です。

1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい

三子教訓状

ちなみに三矢の教えをモチーフにした次のものがあります。

  • サンフレッチェ広島:三矢の教えにちなんだ造語(イタリア語)
  • 陸上自衛隊第13旅団:部隊章のモチーフに。
  • アベノミクス:3つの基本方針を3本の矢と呼んでいた。

他にも色々あったような。

吉田郡山城跡 三本の矢の訓
看板があるのでわかりやすいです。
吉田郡山城跡 三本の矢の訓
柵はしっかり閉めておきましょう。

青光井山尼子陣所跡

吉田郡山城跡 青光井山尼子陣所跡
吉田郡山城跡 青光井山尼子陣所跡
看板より

吉田郡山城跡から手前の多治比川をはさんで見える山は、左が青山、右が光井山で合わせて青光井山と呼びます。

かつて吉田郡山城と青光井山の間で「郡山合戦」が行われ、毛利元就と対峙した尼子詮久は青光井山へ3万の軍勢とともに陣を移したとされます。

ほんとうに青光井山は、吉田郡山城と目と鼻の先で、こんな近くで戦をしていたのだなとシミジミ思いました。

毛利元就公墓所

吉田郡山城跡 参道入口

毛利元就公墓所参道の入口は、石鳥居と石柱があるのですぐわかります。

毛利元就公の墓所まではアスファルトで整備されているので歩きやすいです。

吉田郡山城跡 参道

地名 用十郎

吉田郡山城跡 地名 用十郎

「毛利家側用人が十名いたから用十郎」らしいですが、どんな意味があるのでしょう?

吉田郡山城跡 地名 用十郎

洞春寺跡(とうしゅんじあと)

吉田郡山城跡 洞春寺跡

毛利元就の三回忌に、孫の輝元が菩提寺として創建した寺跡です。

この寺を開いたのは元就の葬儀の導師であった嘯岳鼎虎禅師(しょうがくていこぜんじ)でした。

毛利輝元が広島城に移った後、洞春寺は広島城下に移りましたが最終的には山口市内に移されたのです。

  • 広島城下:洞春寺跡
  • 山口市内:洞春寺
吉田郡山城跡 洞春寺跡
吉田郡山城跡 洞春寺跡

毛利一族墓所

毛利一族墓所には、郡山城初代城主毛利時親から八代豊元まで合葬された墓と、親族の墓が祀られています。

吉田郡山城跡 毛利一族墓所
吉田郡山城跡 毛利一族墓所
吉田郡山城跡 毛利一族墓所

毛利家城主の墓はひときわ大きいですね。

吉田郡山城跡 毛利一族墓所

百万一心の碑

吉田郡山城跡 百万一心の碑

「百万一心」とは、「皆で力を合わせれば、何事も成し得ること」を意味しているらしいです。

吉田郡山城跡 百万一心の碑

たしかに一致団結の大切さを説いた言葉のように感じますね。

そういえば海田駐屯地にも「百万一心」の碑がありました。

毛利元就の墓所

吉田郡山城跡 毛利元就の墓所

毛利元就の墓は毛利一族の墓所の一番上の段にあります。

吉田郡山城跡 毛利元就の墓所

嘯岳禅師(しょうがくぜんじ)の墓

吉田郡山城跡 嘯岳禅師

毛利元就が生前、吉田の城に招き入れていたとされる人物で、毛利元就の葬儀の際には導師をつとめ、菩提寺洞春寺を開いた人でもあります。

吉田郡山城跡
吉田郡山城跡
吉田郡山城跡
吉田郡山城跡

御蔵屋敷跡

吉田郡山城跡 御蔵屋敷跡

とても広い敷地ですが御蔵屋敷跡には兵糧の蔵として使われていたと伝えられていたそうです。※安芸高田市歴史民俗博物館より。

吉田郡山城跡 御蔵屋敷跡
吉田郡山城跡 御蔵屋敷跡

御蔵屋敷跡から釣井の壇、厩(うまや)の壇跡まで通路が続いています。

吉田郡山城跡 本丸付近
看板より

釣井の壇(つりいのだん)

吉田郡山城跡 釣井の壇

長さが75mもある長大な曲輪です。釣井の壇には井戸跡があり吉田郡山城跡の水源に使われていたとされます。

吉田郡山城跡 釣井の壇
吉田郡山城跡 釣井の壇

秘の丸壇跡(ひめのまるだん あと)

吉田郡山城跡 秘の丸壇跡

秘の丸壇は本丸の北に伸びる峰に位置する壇です。

西は釣井の壇、東は釜屋の壇に続いています。

吉田郡山城跡 秘の丸壇跡

釜屋の壇跡(かまやのだん あと)

吉田郡山城跡 釜屋の壇跡

釜屋の壇は、ほかの壇と比較すると台形をなしているそうです。

スズメバチの活動シーズンは気をつけましょう。

吉田郡山城跡 釜屋の壇跡

厩(うまや)の壇跡

吉田郡山城跡 厩(うまや)の壇

本丸の東南に位置する長大な尾根を利用して作られたそうです。

厩(うまや)とは馬小屋のことで、毛利の馬たちは厩の壇で管理されていたのかもしれません。

吉田郡山城跡 厩(うまや)の壇

勢溜(せだまり)の壇跡

吉田郡山城跡 勢溜の壇跡

勢溜の壇は本丸の峰から南西へ伸びる尾根を利用して作られた壇です。

吉田郡山城跡 勢溜の壇跡

尾崎丸堀切

吉田郡山城跡 尾崎丸堀切
 吉田郡山城跡 尾崎丸堀切
吉田郡山城跡 尾崎丸堀切

本丸跡

吉田郡山城跡 本丸を望む

吉田郡山城の本丸跡は、郡山の山頂に位置しており、一辺約35mの方形の曲輪になっているそうです。

毛利元就はここを本拠地とし、中国地方統一を成し遂げたのですね。

吉田郡山城跡 本丸
吉田郡山城跡 本丸

二の丸跡

吉田郡山城跡 二の丸

吉田郡山城の本丸と三の丸の中間に位置する曲輪です。

吉田郡山城跡 二の丸
吉田郡山城跡 二の丸

三の丸跡

吉田郡山城跡 三の丸

城内では最も大きい曲輪であったとされます。

吉田郡山城跡 三の丸

満願寺跡

吉田郡山城跡 満願寺跡

満願寺は毛利氏が郡山に入城するまえから存在したとされる寺跡で、境内には二つの蓮池が残っているそうです。

満願寺は毛利氏が広島城に移るとともに広島市内へ移り、さらに萩城内に移りましたが、現在は防府市内にあります。

  • 広島市内:不明
  • 萩城内:満願寺跡
  • 防府市:満願寺
吉田郡山城跡 満願寺跡

旧本城

吉田郡山城跡 旧本城

旧本城は郡山の南東麓にあります。

毛利時親が郡山に入城して旧本城に城を築き、毛利元就が郡山城の主になるまで約190年間も旧本城が本城でした。

吉田郡山城跡 旧本城
吉田郡山城跡 旧本城
吉田郡山城跡 旧本城
吉田郡山城跡 旧本城

郡山公園

吉田郡山城跡 郡山公園

郡山公園は毛利氏時代の興禅寺跡で、公園は大正4年に整備されたそうです。

吉田郡山城跡 郡山公園
吉田郡山城跡 郡山公園

明治天皇聖徳(しょうとく)碑

吉田郡山城跡 明治天皇聖徳(しょうとく)碑

明治天皇は日清戦争のときに、広島へ大本営を移した経緯がありましたが、明治天皇聖徳碑は明治天皇の広島来訪の記念に建てられたものでしょうか。

満州高田開拓団 殉難之碑

吉田郡山城跡 満州高田開拓団 殉難之碑

高田郡(安芸高田市)から満州に入植した開拓団が終戦後に暴徒の襲撃を受けたり栄養失調・伝染病などで亡くなった方々を悼む碑です。

樹名 こうようざん(広葉杉)

吉田郡山城跡 こうようざん

原産地中国の広葉樹です。江戸時代に何者かが中国から苗木を持ち帰ったものを、吉田の武士が数本購入した杉とのことです。

もみじ・さるすべり

吉田郡山城跡 郡山公園

NHK大河ドラマ「毛利元就」放映を記念して植樹されたものです。

吉田郡山城跡 桜
このポイントがお花見スポットです。
吉田郡山城跡 桜
色鮮やかな桜見物を楽しめます。
吉田郡山城跡 桜
この日は桜祭りをやってました♪
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